母が無事退院しました。
普段あまり話さない父と、
家事や愛犬の世話を分担しながら仕事もこなし、
普段、母に任せっきりだった反省とありがたさを改めて確認しました(笑)
不思議な数字の出来事があったんですが、
偶然、手術の日が父方の祖母の命日でした。
そして、入院した病室の部屋の番号がなんと、
その祖母の誕生日の数字だったのです。
偶然(必然?)にして、命日と誕生日の日付が重なり、
祖母が「大丈夫だよ」と見守ってくれているような気がしました。
父方の祖母は、いつも自分のことよりも家族の幸せを願う人でした。
心配性でもあったかもしれません。
仏壇にいつも家族みんなの幸せを祈ってると言っていた気がします(笑)
私は、母方の祖母とはなんでも話せるのですが、
父方の祖母は一年に一回くらいしか合わなかったので、
どこか他人行儀で、敬語を使っていました。
母方の祖母には、「ばーちゃん!」と言えるのに、
父方の祖母は、「おばあちゃん」と呼んでいました。
父方の祖母は、いつも私に味噌おにぎりを焼いてくれました。
祖母の味噌おにぎりが美味しくて大好きだったからです。
それを覚えてくれていて、毎年食卓に出してくれました。
話は変わりますが、
父方の祖父は35歳の時、
戦争から帰ってきたあと、当時流行りの結核にかかり、
虹の橋を渡りました。
父が一歳の誕生日の日でした。
なので、父は自分の誕生日をお祝いしません。
後から知ったのですが、
祖父は、結核で隔離されていたため、
我が子を一度も抱くことなくこの世を去ってしまったようです。
初めての我が子なのに、
会いたくても会えないなんて、
抱っこしたくてもできないなんて、
どんなに、どんなに切なくて悲しかったでしょうか。
(祖母は、我が子を守るため、本当は抱かせたかったようですが、感染するのを避けるため抱かせなかったそうです。)
父は、その後祖母が再婚した義理の父(祖父の兄弟)に育てられ、
父は中学生になるまで本当の父親だと思っていたそうですが、
ある時、近所の方に言われて本当のお父さんではないことを知ったそうです。
中学生という傷つきやすい、
難しい年頃の時期に知った少年の父はどう思ったのか。。
祖母は、父が35歳になった年、心配してよく電話をかけてきたそうです。夫に重ねて、息子がその歳を超えられるか心配だったようです。
父は、あまり多くを語らないのですが、
かなり苦労をして育ってきました。
どんな苦境も這い上がってきた父、
時代や環境が父の性格を作ったのかもしれませんが、
厳しい、頑固で、バカ真面目、短気、怒鳴る、冗談通じないなど、
子ども時代の私にとっては、
嫌なおとうさんでした。(苦笑)
憎むこともあったし、
優しいお父さんだったら良かったのに・・とよく思っていました。
でも、ある時、親も人間で完璧ではないことに気がついたんです。
父を育ててくれた背景にある人たちもみんな完璧ではない。
親って、子どもの時、スーパーヒーローに見えませんでしたか?
なんでもできて、いつも正しいみたいな先入観。
でも、実際は、みんな考え方も育て方も違う。
子どももひとりひとり個性が違う。
何が正解で、何が間違いかは本当のところわからない。
大雑把に例えて言うなら、子育てしてて、
あの子にはこの言葉は良くても、この子には逆効果みたいな。
思うがままにつづっているので、話がまとまっていませんが、
いろいろ出来事を経て、
父も完璧ではないことを知った時、
父を許せる気持ちになりました。
とーちゃんは、元はそう言う性格ではなかったかもしれないけど、
きっと様々な葛藤を経て性格に癖ができて、
へそ曲がって、口うるさくてめんどくさくなったんだと(苦笑)
そんな父ですが、普段人相悪いのですが、
認めたくないけど笑うと可愛いのです(苦笑)
目尻が垂れ下がって、なんとも言えない笑顔。
知人にも「お父さん笑うと可愛いよね!」と言われました(笑)
オチが、なんじゃこりゃって感じですが、
人には必ず褒められるところがあるもんですね(苦笑)
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